世界的に有名な画家に、藤田嗣治(ふじた つぐはる)さんという方がいらっしゃいます。
私は全然美術に詳しくないので初めて聞く名前でしたが、いま注目されている画家ということで、調べてみることにしました。
藤田さんがどんな人物だったのか、彼の妻や子供はどんな人だったのか、また彼の作品や美術館の情報などについてもお伝えしたいと思います。
藤田嗣治さんのwikiプロフィールは?
藤田さんは1886年11月27日に、東京市牛込区(うしごめく)で生まれました。
この牛込区とは現在の東京都新宿区です。
藤田さんは子供のころから絵を描くのが好きで、熊本県の熊本市で育ちました。
その後藤田さんは、高等師範附属小学校、高等師範中学校を卒業しました。
そして東京美術学校へと進みました。ここは現在の東京芸術大学美術学部になります。
その学校を卒業したあとは、画家を目指してフランスに渡りました。
藤田さんは昔から手先が器用で、裁縫や大工仕事にも才能を発揮して、洋服や自宅の内装までを自分で手掛けてたそうです。
藤田嗣治さんの妻や子供とは?
藤田さんは生涯で5度妻をめとっています。
まず初めの妻が、登美子(とみこ)さんで、恋愛結婚だったそうです。
2番目の妻が、フェルナンド・バレエさんで画家だった人です。
そして3番目の妻がリュシー・バドゥさんでした。
さらに4番目の妻がマドレーヌさんになります。
そして藤田さんの5番目の妻は君代(きみよ)さんになります。
藤田さんは君代さんと50歳のときに出会い、その後の30年間を共にしました。
そして藤田嗣治さんの子供についてですが、藤田さんは作品として子供の絵をたくさん描いてはいるのですが、藤田さん自身の子供はいませんでした。
子供たちが集まって遊んでいる姿を描いていることから、藤田さんはそのような子供が欲しかったのかもしれませんね。
藤田嗣治さんの作品や美術館について
藤田さんはフランスのパリで活動拠点として、猫や女性などをテーマとした作品を多く手掛けています。
藤田さんは、独特の画風の「乳白色の肌」で有名になっています。
また、藤田さんは戦時中は戦争画を描くこともあり、戦争の悲惨さや、残酷さなどを独特のタッチで描いています。
そして藤田嗣治さんの作品は日本国内では、東京のブリヂストン美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、また、箱根のポーラ美術館、そして秋田市の秋田県立美術館などでもみることができます。
まとめ
ここでは、世界的に有名な画家の藤田嗣治さんについてまとめてみました。
藤田さんについて調べてみると、とても人間味のある人物だったことがわかりました。
これからは藤田さんの作品がまた違って見えるようになると思います。